F.吾妻川エリア
自然と人工物が奏でる豊かなハーモニー
吾妻川エリア概説
吾妻川は、浅間高原をほぼ西から東へと横切るように流下している。 国道や鉄道もこの河川沿いに敷設され、住居の多くがその両岸に展開している。 吾妻川に沿って移動すると、両岸には多くの崖地形が見られる。吾妻川エリアの嬬恋村内では、ちょうど浅 間火山と草津白根火山の噴出物の境界となる。左岸は草津白根火山の溶結した白根軽石流堆積物が崖をつ くり、右岸は浅間軽石流堆積物の崖である。一部では、浅間軽石流堆積物が礫層などを挟んで白根軽石流の 上にのっていることが確かめられる露頭もある。両岸には、段丘礫など河川によって堆積した地層も露出する が、火山噴出物の新旧や分布範囲などを探り、大地の成り立ちを紐解くヒントが多く隠されている地域である。 1783(天明 3) 年の浅間山の活動では、鎌原土石なだれが吾妻川に流れ込み、下流域で甚大な水害をもたら した。本エリアでは、その時の遺物や石碑、記録などが多く残されており、浅間山の火山活動と当時の人々の 暮らしへの影響なども学ぶことができる。
サイト紹介
F-1.雲林寺
大洞山雲林寺は吾妻郡長野原町大字長野原にあり、後閑(安中市上後閑)の長源 寺の末寺となっている。 雲林寺は、 1263( 弘長 3 年、臨済宗妙心寺派に属する龍幡和尚が創建した。その 場所も大字長野原字火打花にあったが、その後貝瀬に移った。 1559( 永禄 2 年 3 月 15 日、海野幸光が開基となって現所在地に伽藍を再建した。海野幸光は、西吾妻地方 吾妻川左岸に勢力を持ち、戦国時代に羽根尾城に拠った羽尾景幸の孫である。しか し、 1581( 天正 9 年、真田十勇士の伝説で有名な真田幸村の父、真田昌幸に滅ぼさ れてしまう。 1559( 永禄 2 年、後閑(安中市上後閑)の長源寺九世、為景清春が曹洞 宗大洞山雲林寺として創建され た 。 1783 (天明 3 )年の浅間山噴火による土石なだれ で埋没したが、地元の有志によって再建された。 1783( 天明 3) 年当時の住職は逃げ延 びることができ、噴火前の記録や噴火時・噴火後の詳細な記録を今に残している。 雲林寺の参道には、泥流によって流されてきて 2004( 平成 16) 年に発見された青面 金剛塔が建てられている。参道の両脇には紫陽花が植えられており、毎年 6 月には参 道に彩りを添えて、訪れる人々の目を楽しませている。
F-2.常林寺
享禄年間に樋口の里旧樋口屋敷所在地に創建されたのがはじまりとされる。 ただし、常林寺世代過去帳によると、1555(弘治元)年無庵正慧和尚が 開山する以前から前住七師約200年に亘り前身となる寺があったとされる。 1783(天明3)年の噴火では、長野原町の村々も大きな被害を受けた。 小宿村の常林寺も鎌原土石なだれに押され、その後、20年余りの間は寺を嬬恋村今井に移していたが、 文政年間に本堂を再建整備して現在に至っている。 土石なだれに流された寺の梵鐘は、15kmも下流の川原畑で1910(明治43)年に発見された。 その梵鐘は現在、浅間火山博物館に展示されている。
F-3.旧新井村
1980( 昭和 55 年、長野原町与喜屋地区のグラウンド整備工事中に供養塔や石臼が 見つかったもので当時は新井村といった。新井村があったのは、吾妻川の右岸で長 野原高校の西側。グラウンド工事中に出土した。 1783( 天明 3 年 8 月 5 日 、 浅間山の大噴火により 、泥流は長野原手前で熊川を逆流 し、旧新井村北側に位置する与喜屋の養蚕神社境内まで達して桜の木の幹を埋め たとされている 天明桜 。 旧村は隣接していた坪井村と共に全村泥流の下に埋没し、 上州吾妻原町富沢久兵衛清胤の手記「手前能々及見聞候事実大概書置者也」によ れば六 軒 潰れ、弐人死と記されて いる。 新井村耕地からの出土品は供養塔 1 基、石臼 2 個、挽き臼 1 組 (2 個 。 新井村耕地の 遺跡は屋敷跡、村の共同墓地、百番供養塔 である 。
F-4.丸岩
標高 1,124m の丸岩は吾妻川の右岸、JR吾妻線の川原湯温泉駅と長野原草津口 駅の中間に位置する岩峰である。山の三方は、 100m にも 達する垂直の崖で、柱を束 ねて立てかけたような柱状節理とベレー帽をかぶせたような形が特徴である。菅峰火 山の溶岩の一部であったと考えられており、東西に断層ができて北側が落ち込んだ ため、独立した火山のようにそびえている。溶岩と断層が生んだ独特の景観である。 永禄年間( 1558 年~ 1570 年)、羽尾氏により山頂には丸岩城が築かれていたと伝 えられており、要害の名残をとどめて おり、「真田太平記」にも記載が見られる 。 国道 406 号の途中から登山道があり、山頂まではゆっくり歩いて約 30 分。道の駅 「八 ッ 場ふるさと館」から一望できる。
F-5.吾妻峡
吾妻峡は、関東の耶馬渓とも言われる吾妻川沿いの深く美しい渓谷であり、上毛か るたにも「耶馬渓しのぐ吾妻峡」と謳われている。春の新緑・秋の紅葉はハイキングに 最適である。特に紅葉の時期にはもみじ、カエデ等の広葉樹林が見事な景色を作り 出す。 過去の浅間山噴火に伴う火砕流や土石なだれなどが幾度も流下し、谷が浸食され て現在のような渓谷が形作られていった。
F-6.八ッ場あがつま湖
八ッ場あがつま湖は吾妻渓谷に建設された八ッ場ダムによりできたダム湖である。吾妻渓谷は地質年代の古い地層が分布している場所で、湖底に沈んだ川原畑地域には西吾妻最古と言われる地層が分布していた。 浅間山の天明噴火(1783年)では、「鎌原土石なだれ」が発生し、吾妻川に流入して泥流化し「天明泥流」として八ッ場地域にも大きな災害をもたらした。 ダム建設に伴う発掘では、数多くの縄文遺跡と、天明泥流で埋もれた家屋・田畑が発見され、湖畔には発掘の成果を展示する「やんば天明泥流ミュージアム」が建設されている。