A 山頂エリア

A-1 千トン岩(眺望)
火山噴火のエネルギーの大きさを体感

近年の浅間山噴火によって放出された噴石(岩塊)は、前掛山及び釜山周辺に無数に散在しています。その中でも、 「千トン岩」 は、1950(昭和25)年9月23日の噴火で噴出された巨大な火山岩塊で、最近の噴火で噴出されたもののうち、現存する最大のものとされています。この時の爆発では、登山者が1名犠牲になるとともに、強い空振で山麓の民家やホテルのガラスの破損が相次ぎ、ガラス屋の在庫が切れてしまったとも言われています。

A-2 トーミの頭
成層火山の断面が見える黒斑山の崩壊崖

トーミの頭からは、約2万4,000年前に大規模な山体崩壊を起こした黒斑火山の馬蹄形の崩落崖が一望できます。崖には、溶岩と火砕岩とが層状に積み重なって山体を構成する成層火山の特徴が明瞭に見られます。また、前掛山との間には湯の平が広がり、噴火活動に伴う植生の遷移が観察できます。

A-3 シラハゲ(眺望)
厚い降下軽石堆積層からなる崩壊斜面

群馬県側から浅間山をのぞむと、黒斑山の東側に白色の崩壊斜面が見えます。地域で は、この部分を 「シラハゲ」 と呼んでいます。この部分は上部を前掛火山の降下火砕物に覆われ、下部は層厚10mを超える仏岩火山が噴出した嬬恋軽石に覆われています。いずれも降下堆積物で固結していないため、崩落が絶えません。従って、パイオニア植物も侵入することができず、淡黄色軽石層がむき出しの状態になっています。

A-4 トーミ断層(眺望)
浅間火山で確認できる最大の断層

「トーミ断層」 は、浅間火山の中でも地表で確認できる最も大きな断層で、断層でできた地形を現在の登山道(2.100~2.150m付近)から見ることができます。断層は浅間山最大の噴火である仏岩火山の活動に伴ってできたと考えられています。火山活動に伴い断層ができる大地の変動を体感できる重要なサイトです。

ビジターセンター:高峰高原ビジターセンター

標高2,000mの場所に位置し、上信越高原公立公園にある自然体験の拠点として、NPO法人浅間山麓国際自然学校による浅間山麓地域の案内や自然体験プログラムを実施しています。地元の食材を使用したカフェ・レストランも併設されており、登山客だけでなく、高原散策やドライブで訪れる人たちにも人気です。
B 鬼押出しエリア

B-1 鬼押出し溶岩
世界的に貴重な場所で溶岩流のメカニズムを学ぶ

「鬼押出し溶岩」 は、1783(天明3)年の浅間山噴火の際に流下した溶岩流です。山頂付近では最近の噴火の砕屑物に覆われていますが、中腹以下では、樹木もあまり生えておらずに今なお当時のままの状態が残されていて、溶岩流がつくった微地形が見られます。塊状溶岩と呼ばれる表面がゴツゴツとした大小の岩塊が一面に広がる光景は、見る者に圧倒的な印象を残します。当サイトは溶岩流が流下した様子が観察できる世界的にも貴重な場所です。なお、2016年鬼押出し溶岩は群馬の岩石に選ばれました。

B-2 吾妻火砕流
六里ヶ原地域の森林を焼き尽くし溶岩樹型を形成

1783(天明3)年8月4日、浅間山大噴火で立ち上がった噴煙柱の根元から、主に北東山麓に向かって火砕流が繰り返し流下しました。これが、 「吾妻火砕流」 です。流れ下った 「吾妻火砕流」 は、山林を焼き払いながら火口から8㎞の距離まで到達し、一面砂礫に覆われた荒廃地を生み出しました。新しい時代の火砕流堆積物であるため、その堆積面や断面をいたる所で観察することができます。多くの断面は強く溶結し、流下時に高温だったことを物語っています。

B-3 浅間山溶岩樹形
浅間山地域で唯一の国指定特別天然記念物

「浅間山溶岩樹型」 は、1783(天明3)年に噴出した吾妻火砕流が森林地帯に流れ込んでできた井戸状の穴です。世界的にも珍しいため1952(昭和27)年に国の特別天然記念物に指定されました。安山岩質の噴出物を中心とする火山活動による溶岩樹型は希少であり、価値の高い自然遺産です。樹型は縦穴形状で落葉や土砂が入りやすいため、溶岩樹型保護員(住民ボランティア)によって、計画的に保全・管理作業が行われています。

B-4 蜀山人の碑
自然災害・防災意識の継承を願い建立した石碑

1783(天明3)年の浅間山噴火の際、大笹宿問屋の主人黒岩長左衛門は私財をなげうって物心両面にわたり、災害復旧に大きな貢献をしました。長左衛門は災害の被害を忘れず、将来の噴火に備える大切さを伝えるため、当世、狂歌の第一人者であった蜀山人に撰文と揮毫を依頼し、その志が碑となって残りました。碑は2mに達する大きな安山岩の自然石で、その表面には和歌を交えた12行にわたる碑文が記してあります。

B-5 上の舞台溶岩
溶岩流が生み出す地形の変化を体感

1108(天仁元)年の噴火時に 「大笹火砕流(追分火砕流)」 とともに噴出した溶岩が 「上の舞台溶岩」 です。先端部の厚さは40m以上あり、 「鬼押出し溶岩」 の下にもあることが確認 されています。黒豆河原からは、天明3年に流下した鬼押出し溶岩末端の下に連続するように台地状の平坦な地形として見られます。天仁、天明と異なる時期に噴出した溶岩流の重なりは、噴火を繰り返して火山体が大きく変化していく様子を物語っています。

B-6 下の舞台溶岩・黒豆河原溶岩
溶岩流や火砕流堆積物を時系列で見学

4世紀頃の噴火によって流下したとされる溶岩流が 「下の舞台溶岩」 「黒豆河原溶岩」 です。浅間白根火山ルートの六里ヶ原休憩所付近から前掛山を見上げると1783(天明3)年に流下した鬼押出し溶岩の下に1108(天仁元)年の 「上の舞台溶岩」 が台地状の地形を形造っている様子を観察できます。噴出時期の異なる溶岩流の重なりが見られる貴重なサイトです。「黒豆河原溶岩」 は 「下の舞台」 より小浅間寄りに流下しています。

B-7 六里ヶ原の火山荒原
荒地からの植生遷移を観察できる適地

六里ヶ原は浅間山を形成する黒斑山、仏岩、前掛山の各年代での火山活動で、火砕流、溶岩流、岩屑なだれなどが繰り返し堆積して形造った広大な高原地形です。中でも浅間白根火山ルートの六里ヶ原休憩所付近は、植生が未発達な火山荒原を形づくっています。エリア一帯は、前掛山の噴出物が露出するとともに、パイオニア植物の侵入も見られ、荒地からの植生遷移を観察する適地になっています。この場所からは浅間火山を見上げ、その生成史の概要を振り返ることもできます。

B-8 浅間高原シャクナゲ園
しゃくなげ栽培に日本で初めて成功した地

浅間高原しゃくなげ園は、不可能と言われたシャクナゲの実生栽培に日本で初めて成功したアララギ園(造園会社)の坂井敬一氏が、苦労の結晶であるシャクナゲを嬬恋村に寄付し、村民がボランティアで植樹を手伝うなど5年がかりで造園された村営の公園です。現在でも世界最大級の敷地を誇り、群落の保全活動も行われています。複数のハイキングコースがあり、シャクナゲの他レンゲツツジ群落や野草も楽しむことができます。

ビジターセンター:浅間園・浅間火山博物館

天明3(1783)年の浅間山噴火を中心に、火山の成り立ちや噴火の様子などについての解説・展示があります。屋外に併設された自然遊歩道(自然研究コース)に出れば、溶岩の中に高山植物が咲き乱れる大自然のふしぎを、楽しく遊びながら学ぶことができます。

拠点施設:鬼押出し園

鬼押出し園は、天明3年の浅間山の大噴火の際に流れ出た溶岩が固まって作られた奇形な岩場の景観を楽しむことのできる、浅間高原の名勝地です。園内には遊歩道が設置されており、晴れていれば北アルプス連峰・谷川連峰・日光男体山まで一望できます。また、溶岩の間には5月からイワカガミ・ツガザクラ・ミネズオウなど、可憐に咲く高山植物の姿がみられるほか、ヒカゲツツジ・トウゴクミツバツツジ・ハクサンシャクナゲ・ウラジロヨウラク・ホツツジの群生もみることができます。【料金:大人 650円/こども(小学生)450円】
C 北軽井沢エリア

C-1 浅間大滝・魚止めの滝
火山噴火による力の大きさ・河川浸食作用を実感

浅間大滝は吾妻川の支流・熊川にかかる幅約2m、高さ約10mの北軽井沢周辺で最大の滝です。魚止めの滝は、浅間大滝の下流に位置し、落差は約10mで3段にわたって水が流れ落ちています。魚止めの滝は、 「魚が登りきれないほど激しい滝」 という名前の由来通り、落差のある大迫力の滝です。火山噴火による堆積物とそれを浸食して流下 する河川は、その地の基盤岩、火山堆積物を観察するのに最適な素材です。

C-2 旧草軽電鉄北軽井沢駅舎
当時の姿のまま残されている国登録有形文化財

旧北軽井沢駅舎は、新軽井沢から草津温泉間を結んだ草津軽便鉄道(後の草軽電気鉄道株式会社)の約22あった駅のうち、当時の姿を唯一現在まで留めている駅舎です。草津軽便鉄道はスイスの登山鉄道を模して1915(大正4)年に誕生しました。火山活動による硫黄鉱山の硫黄の輸送と、軽井沢・草津という一大観光地を結ぶ乗客輸送のために建設された草軽電鉄の歴史は、火山地域ならではの産業の栄枯盛衰の歴史でもあります。

C-3 六里ヶ原の道しるべ観音
旅人の難所であった六里ヶ原での無事を願う

江戸時代、度重なる浅間山の噴火によって荒廃した六里ヶ原は旅人にとっての難所でした。そのため、旅の無事と道案内の役割を持った道しるべ観音が分去茶屋を基点として 三街道方向に地元の人々によって建てられました。大地の活動による厳しい条件の土地を克服しようと努めた人々の暮らしを知ることができる貴重な文化的資源です。その道しるべ観音は現在、 「桜岩地蔵堂」 に集められており、その表情を拝むことができます。

C-4 浅間牧場
火山体や火山噴出物の上に開設された自然豊かな牧場

浅間牧場は、北軽井沢の別荘地の中心街に近い位置にある、標高1,300mに広がる800haの県営牧場で、1882(明治15)年に北白川宮能久親王によって放牧場として開設されました。牧場は火山体の上に設けられており、周辺には浅間山の噴出物が堆積しています。昭和の初期に大ヒットした歌謡曲 「丘を越えて」 は、この浅間牧場がモデルになっており、牧場内に 「丘を越えて」 の歌碑が建てられています。

C-5 流れ山
山体崩壊による流下物量の膨大さを学ぶ

浅間山北側の応桑に 「流れ山」 と呼ばれる地形があります。こんもりとした小山は安山岩質の岩塊と粒の細かい火砕物質が雑然とまじりあったもので、浅間火山の軽石流や降下軽石層、火山灰層でおおわれています。これは、黒斑火山が山体崩壊を起こして流れ下ったもので応桑岩屑なだれと呼ばれています。流れ山は岩屑なだれに含まれていた巨大な岩塊がこの地点で止まってできたもので、最も大きなものは東西300m、南北400m、 比高40mにおよびます。

C-6 古瀧
浅間山のかつての火山活動の痕跡を見る

古瀧では、浅間山の縄文中期の噴火の際にこの沢を流れ下ったとされる古瀧火砕流が露出しています。この露頭は浅間山の火山活動の経緯を知る手掛かりとして貴重なサイトです。また、周辺の古瀧花木野草苑では、失われつつある浅間高原に自生する山野草や他地域の山野草など数百種類の野草が点在しています。

ビジターセンター:北軽井沢観光協会

自然豊かな浅間高原 北軽井沢の案内所となっています。北軽井沢は、西に雄大な浅間山を眺め、その麓に広がる観光リゾート地域です。標高1,100mの高原は、夏は湿度が低く爽やかな気候で、大正末、昭和の初期より学者や文化人が滞在された歴史ある土地柄です。長い時の中で培われた人柄と、昔より受け継がれた素朴さを味わえる北軽井沢に是非、お出かけください。
D 湯の丸エリア

D-1 湯ノ丸レンゲツツジ群落
約60万株の貴重な群落 国指定天然記念物

日本有数の規模、60万株を超えるレンゲツツジ(日本固有種、群馬県花)の群落が自生しており、1956(昭和31)年に国の天然記念物に指定されました。中部日本の分布限界高度にあり、個体変異も多く見られる貴重な群落です。地元住民のボランティアにより、保全活動が行われています。また、この地域には県指定天然記念物の3種類の高山蝶も生息しており、生息環境保全のための活動も行われています。

D-2 鹿沢温泉・新鹿沢温泉
古い歴史をもつ温泉街 「雪山讃歌」 発祥の地

鹿沢温泉は江戸から明治にかけて湯治場として発展しましたが、大正7年の大火で温泉街は焼失しました。当時あった温泉街は 「紅葉館」 の一軒を残し、新たに引湯管を整備して、現在の新鹿沢温泉に移転しています。「雪山讃歌」 発祥の地としても知られ、紅葉館の向かいには作詞者直筆の台字による 「雪山讃歌の碑」 が建てられています。

D-3 鹿沢園地
清流のせせらぎと野鳥のさえずりに耳を傾ける

鹿沢園地は、上信越高原国立公園内、標高1,400mに位置し、 「清流の小径」 「かえでの小径」 という2つの自然学習歩道と、野草園、インフォメーションセンター、情報ステーション、キャンプ場、小さな湿原、ひろば、宿泊施設休暇村などからなっています。自然学習歩道はいくつものエリアがあり、水辺の動植物を間近に観察することができます。また、木道が設けられているため、車椅子での散策も可能です。

D-4 たまだれの滝
火山性の地層や湧水など大地の恵みを実感

「たまだれの滝」 は、湯の丸高原と新鹿沢温泉を結ぶ湯尻川歩道の中ほどに位置しています。桟敷山から染み出た水が幾本もの白い絹糸を束ねたように流れ落ちているその様子が玉飾りの付いたすだれに見えることから、 「たまだれの滝」 と呼ばれています。滝の岩は厚く苔に覆われ、ハコネサンショウウオなども生息しています。滝入り口に流下する湯尻川は水生生物の種類数が村内の清流で最も多いことでも知られています。

D-5 百体観音
湯道を訪れた人々の暮らしを現在に伝える遺産

旧長野県東部町(現長野県東御市)から峠を越えて旧鹿沢温泉までの山道約12km(100丁)は 「湯道」 と呼ばれ、一番から百番までの 「丁石」 と呼ばれる百体の観音像が、1丁(約110m)ごとに道脇に安置されています。この百体観音は、旅の安全を願う道標として 「地蔵峠道しるべ観音」 とも呼ばれ、この観音像を頼りに大勢の湯治客が霊湯で名高い鹿沢温泉へ通いました。

D-6 烏帽子火山群
中央分水嶺の一部を構成し、地理学的に貴重

「烏帽子火山群」 は、中央分水嶺に連なる山脈の1つで、浅間山の活動以前の第四紀の火山活動によって誕生した火山群です。比較的古い火山群ですが、火山活動による山脈の形成過程が明らかで、高山植物を中心とした植生が多様であるため現在も登山者が多く、火山学・生態学のみならず地理学的にも重要なサイトです。標高2,000m前後の山としては比較的容易に登山できるため、初心者から楽しめるスポットと言えます。

D-7 嬬恋農場
並々ならぬ努力により発展し、全国に原原種を供給

「嬬恋農場」 は、ばれいしょ生産の安定性向上のために、必要なばれいしょ原原種の生産・配布を目的として1947(昭和22)年に種芋生産の適地である浅間山北麓、標高1,230m前後に位置する田代の地に設立されました。最低気温がマイナス15~20度となり、設立当初の作業は困難を極めましたが、関係者の努力により、この施設は発展を遂げ、全国各地にばれいしょの原原種を供給するなど大きな役割を果たしています。

ビジターセンター:鹿沢インフォメーションセンター

鹿沢インフォメーションセンターは、上信越高原国立公園にある公園利用者のための施設(ビジターセンター)です。ここでは鹿沢周辺の自然や歴史・文化についての展示・解説、公園の利用案内、自然体験活動などが行われていて、だれでも自由に利用することができます。
E 鎌原大笹エリア

E-1 鎌原村・鎌原観音堂
火山噴火の恐ろしさ・災害の歴史を今に伝える

「鎌原観音堂」 は、1783(天明3)年の噴火で発生した 「鎌原土石なだれ」 の最大の被災地である鎌原集落で唯一残った建物です。発掘調査による被害の状況や鎌原集落の独特の復興過程などは、火山学、防災学、社会学的にも極めて重要です。また、現在でも奉仕会の方々により保全管理されるとともに、地元住民や来訪者に歴史の語り継ぎが行われている点でも、当ジオパークにおいて最も重要なサイトの1つと言えます。

E-2 鎌原用水
浅間山の活動と江戸時代の暮らしを結び付ける

江戸時代、鎌原村は信州街道の宿場でした。鎌原用水は鎌原宿の中央を貫流し、下の田畑まで流れていました。水源は鬼押出し溶岩の末端部の湧水で、水源地から鎌原宿まで約8kmの用水路が引かれており、以前は道路の中央を通っていましたが、昭和33年に設 備が整った水道となり、現在は道路の脇を流れています。この用水は浅間山の火山活動と、その影響を受けつつこの地で暮らしてきた人々の生活を示す貴重な史跡です。

E-3 嬬恋高原キャベツ畑
火山噴火による恩恵を実感

「高原キャベツ」 で有名な嬬恋村は、標高700~1,400mに広がる日本一の夏秋キャベツの産地です。8月~9月の最盛期には、嬬恋村産のキャベツの売上は全国の総出荷量の半分を占め、名実ともに 「日本一のキャベツ産地」 と言えます。浅間火山の活動により形造られた高原地形は、水はけが良くミネラルが含まれた肥沃な大地を作り、大型機械(トラクター)使用の農業を可能にしています。

E-4 浅間軽石流
吾妻川右岸の崖や広大な裾野を形成

「浅間軽石流」 は過去の浅間山の火山活動の中で最大規模であった仏岩の噴火で噴出したものです。堆積物は、吾妻川右岸に連続した崖を作り、その上は台地状の浅間高原と呼ばれる広大な裾野を形成しています。浅間軽石流堆積物は固結度が低いため、崩れやすく危険な崖となっています。JR吾妻線万座鹿沢口駅南側の大きな崖も崩壊して犠牲者を出しました。その後、大規模な防災工事が行われています。

E-5 追分火砕流
様々な地点で観察でき、火砕流の到達範囲を実感

前掛山の噴火で最大の噴火であった1108(天仁元)年の噴火では、大量のマグマが火口からあふれ出て、スコリア質の火砕流として山腹斜面を南北に流れ下りました。これを 「追分火砕流」 といいますが、特に北麓に流下した火砕流は 「大笹火砕流」 とも呼ばれています。この火砕流は大規模で、南北の広範囲を覆い尽くしたため、ジオパークエリアの様々な場所で観察することができます。

E-6 古嬬恋湖
かつてこの地は火山群に囲まれる巨大な湖だった

鎌原大笹エリアには 「古嬬恋湖」 と呼ばれる過去の湖の堆積物が点在しており、その地層を 「嬬恋湖成層」 と呼んでいます。成因としては、烏帽子火山群の火山活動によって当時南流していた吾妻川が堰き止められてできたという説が有力で、堆積物からは、火砕流や泥流が見られ、当時の火山活動が活発であったことが推察されます。また、ゾウの歯や花粉の化石なども見つかっています。

E-7 大笹の関所・抜道の碑
旧大笹村宿場のかつての賑わいを現在に伝える

大笹の関所は、江戸時代に険しい山岳地帯の要衝を結んだ仁礼街道の通行人を取り締まるために設置されました。現在は復元された門扉があり、大笹の宿場町のかつての賑わいを伝える史跡となっています。また、当時の関所は特に女性の通行には厳しかったため、関所を迂回する 「女道」 と呼ばれる抜道が存在しました。抜道の存在を示すための石碑は今も残っており、当時の庶民の暮らしを知ることができます。

E-8 鎌原城址
鎌原氏の栄枯盛衰と当時の暮らしを伝える遺産

鎌原城は、吾妻川の右岸、鎌原集落の西側の浅間軽石流(浅間山第一小諸軽石流;平原火砕流;約1万3,000年前)の断崖に築かれた城で、吾妻川崖上の要害の地にありました。 室町時代から江戸初期にわたって三原庄に勢力のあった鎌原氏が1397(応永4)年に築城したと伝えられており、浅間山の火山活動によって生じた天然の要害を利用した城として、当地域で活躍した鎌原氏の栄枯盛衰の歴史と合わせて貴重なサイトです。

総合案内施設:ジオパーク総合インフォメーションセンター

嬬恋村地域交流センターが総合インフォメーションセンターとなっています。内部に浅間山ジオパーク推進協議会があり、浅間山北麓全域のパンフレットなどを置き情報を発信をおこなっています。全国のジオパークのパンフレットなども置いております。また、石や写真の展示、地域の物にこだわった商品の販売なども行っています。

拠点施設:嬬恋郷土資料館

鎌原観音堂に隣接する施設で、天明3年浅間山の浅間山大噴火の資料展示や嬬恋村特産品のキャベツについて紹介しています。天明3年の浅間山噴火に起因する“土石なだれ”によって埋没した鎌原村から発掘された品々などが多数展示されており、映像コーナーでは、天明3年の悲劇と浅間山の美しい自然を見ることができます。また、パノラマ展望室からは、浅間山や四阿山・草津白根山などの雄大な形式を眺めることができます。【料金 大人 300円 小中学生 150円】

ビジターセンター:嬬恋村観光協会

嬬恋村の観光情報パンフレットをはじめ、イベント情報やお得なクーポンを取り揃えております。ポスター類もプレゼントしております!また、展示品を飾っていたり、飲食可能のフリースペースもございますので電車待ちやご休憩の際もご利用いただけます。(フリーWi-Fiも完備!)嬬恋特産品のお土産販売も品数が充実してまいりましたので、お帰りの際にもぜひお立ち寄りください。
F 吾妻川エリア

F-1 雲林寺
天明3年8月土石なだれに柱2本を残し消えた寺

大洞山雲林寺は吾妻郡長野原町大字長野原にあり、後閑(安中市上後閑)の長源寺の末寺となっています。1783(天明3)年の浅間山噴火による鎌原土石なだれで埋没しましたが、地元の有志によって再建されました。1783(天明3)年当時の住職は逃げ延びることができ、噴火前の記録や噴火時・噴火後の詳細な記録を今に残しており、火山噴火と人の歴史を学ぶのに最適な素材となっています。

F-2 常林寺
土石なだれに流された寺の梵鐘の行方

1783(天明3)年の噴火では、長野原町の村々も大きな被害を受けました。小宿村の常林寺も鎌原土石なだれに押され、その後、20年余りの間は寺を嬬恋村今井に移していましたが、文政年間に本堂を再建整備して現在に至っています。土石なだれに流された寺の梵鐘は、15kmも下流の川原畑で1910(明治43)年に発見されました。その梵鐘は現在、浅間火山博物館に展示されています。

F-3 旧新井村
泥流に呑み込まれた幻の村

1980(昭和55)年、長野原町与喜屋地区のグラウンド整備工事中に供養塔や石臼が見つかったもので埋没当時は新井村といいました。1783(天明3)年8月5日、浅間山の大噴火により発生した鎌原土石なだれは吾妻川に流入し泥流となりました。泥流は長野原手前で熊川を逆流し、旧新井村北側に位置する与喜屋の養蚕神社境内まで達して桜の木の幹を埋めたとされています(天明桜)。旧村は隣接していた坪井村と共に全村(戸数6軒)泥流の下に埋没し、六軒潰れ、弐人死と手記に記されています。

F-4 丸岩
火山活動のなごり 柱状節理

標高1,124mの丸岩は吾妻川の右岸、JR吾妻線の川原湯温泉駅と長野原草津口駅の中間に位置しています。山の三方は、100mにも達する垂直の崖で、柱を束ねて立てかけたような柱状節理とベレー帽をかぶせたような形が特徴の岩峰です。国道406号の途中から登山道があり、山頂まではゆっくり歩いて約30分。道の駅 「八ッ場ふるさと館」 から、その美しい自然の造形美を一望することができます。

F-5 吾妻峡
火山活動のエネルギー・規模の大きさを今に伝える自然遺産

吾妻峡は、関東の耶馬渓とも言われる吾妻川沿いの深く美しい渓谷であり、上毛かるたにも 「耶馬渓しのぐ吾妻峡」 と謳われています。春の新緑・秋の紅葉はハイキングに最適で、特に紅葉の時期にはもみじ、カエデ等の広葉樹林が見事な景色を作り出します。過去の浅間山噴火に伴う火砕流や土石なだれなどが幾度も流下し、谷が浸食されて現在のような渓谷が形造られました。

ビジターセンター:道の駅 八ッ場ふるさと館

八ッ場ふるさと館では、地域の農産物直売所や八ッ場食堂、情報休憩コーナーが設けられており、天然の足湯にも入ることができます。カレーのルーをダムの貯水にみたてた八ッ場ふるさと館の名物料理『八ッ場ダムカレー』を食べることができます。