旧新井村

1980( 昭和 55 年、長野原町与喜屋地区のグラウンド整備工事中に供養塔や石臼が 見つかったもので当時は新井村といった。新井村があったのは、吾妻川の右岸で長 野原高校の西側。グラウンド工事中に出土した。 1783( 天明 3 年 8 月 5 日 、 浅間山の大噴火により 、泥流は長野原手前で熊川を逆流 し、旧新井村北側に位置する与喜屋の養蚕神社境内まで達して桜の木の幹を埋め たとされている 天明桜 。 旧村は隣接していた坪井村と共に全村泥流の下に埋没し、 上州吾妻原町富沢久兵衛清胤の手記「手前能々及見聞候事実大概書置者也」によ れば六 軒 潰れ、弐人死と記されて いる。 新井村耕地からの出土品は供養塔 1 基、石臼 2 個、挽き臼 1 組 (2 個 。 新井村耕地の 遺跡は屋敷跡、村の共同墓地、百番供養塔 である 。