六里ヶ原の道しるべ観音

江戸時代、浅間山北側に広がる六里ヶ原は旅人の難所であった。そのため、地元の人々によって、 分去茶屋を基点に、沓掛、狩宿、大笹の各街道沿いに道しるべ観音(丁石観音)が建てられた。 道しるべ観音は、三街道方向の1丁(約109m)ごとに1番~33番まであったとされる。現在は長野原町の北軽井沢にある 桜岩地蔵堂に集められ安置されているが、当時の観音仏は時代と共に散逸し全部は揃っていない。平成3年に 地元有志の努力により、不足した観音仏が整備された。丁石観音が各33体で計99体あり、これに基点観音を加え百体観音となる。 地蔵堂のお堂には「桜岩地蔵尊」が祀られている。桜岩地蔵尊像の蓮華台に寛延四年と書かれており、もと六里ケ原の 上信国境にあったといわれ、1783(天明3)年の浅間山噴火により埋没したが後年路傍に再建され、道行く旅人が小石を 積上げてお参りしたという。1928(昭和3)年8月、現在の地に移し、お堂を構築して祭祀するようになった。